今回はファティマの奇跡について話します。
関暁夫さんの動画に登場した3人の子供の写真と関係してきます。
ファティマとは、ポルトガルの村の名前です。首都・リスボンの北東、車で1時間半くらいの距離にあります。
この村で暮らしていた、9歳になるフランシスコと妹の7歳のヤシンタ、従姉の10歳になるルチアにある日突然奇跡が起こることになります。
この三人は羊飼いをしていて、いつも通り羊の番をしていると突然雨が降ってきたので、近くの洞窟に入り雨宿りをしていました。
すると、まばゆい不思議な光がやってきて三人を包み込んだそうです。
眩しさのあまり、思わず外を見ると、雨はもう止んでいて、オリーブの木の上の方に、真白な人影のようなものが見えるではありませんか。
それはまるで雪の像か、透きとおった水晶の像のようで、ゆらりゆらり揺れています。
よく見ると、15歳ぐらいの気高い少年のよう。
「こわがらないで、私は平和の天使です」
「祈りなさい。イエス様と聖母マリア様は、あなた方を憐れんで下さるでしょう」
と告げて消えたそうです。
そして、1917年5月13日、3人の羊飼いの前に、光そのもののように輝く貴婦人が姿を現わしたといわれます。
貴婦人は子供たちに、自分が何者であるかを伝えるので、10月13日までの毎月13日に続けてここに来るように望みました。
子供たちはその言葉に従って、様々な妨害にあいながらも毎月貴婦人に会いました。
貴婦人からは様々なメッセージを受け取ります。
6月13日は、「ヤシンタとフランシスコは間もなく天へ連れて行くけれど、ルシアにはまだ役割があります。でも私は決してあなたを見捨てません」
という、子供にとっては過酷なメッセージ。
実際に、ヤシンタとフランシスコはそれぞれ10歳になる前に亡くなり、ルシアだけが97歳まで生きることになります。
3度目の13日である、7月13日、
貴婦人が両手を広げると、3人の子供達は一瞬ですが、強い光線とともに火の海のような光景を見せられました。
そこでは悪魔や人間のかたちをした霊魂が、絶望と苦悶のうちに火の固まりとなっています。
貴婦人は、これは地獄の様子であると告げました。
子供たちは地獄の実在に戦慄します。
「私があなた方に言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、戦争(第一次世界大戦)は終わるでしょう。
しかし人々が神に背くことをやめないならば、ビオ11世(ローマ教皇)の御代にもっとひどい戦争が起こるでしょう」と警告しました。
さらに、ロシアの奉献を求め、「その求めに応じればロシアは回心し、平和が来るでしょうが、
そうでないならばロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。
善い人々は殉教し、教皇は多くの苦しみを受けるでしょう」と警告します。
そして、もう一つ、いわゆる第3の預言もこの時に語られたといわれますが、内容は未だに教皇庁によって伏せられています。
8月19日、祈りを捧げようとする子供たちの前に、予期せぬかたちで貴婦人が現われます。
9月13日、5回目の出現の時には、貴婦人は子供たちに、「10月13日には、すべての人が信じるように、一つの奇蹟を行ないます」と告げます。
9月13日は、3万人ほどの人が集まっていましたが、多くの人が空を移動する球体を見たり、白い花びらのようなものが降ってくるのを見ました。
そして10月13日。
その日は朝から雨でしたが、前月を上回る大群衆が集まりました。
出現した貴婦人は子供たちに、「私を称えてここに聖堂を建てることを望みます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオの祈りを続けて唱えなさい。
戦争は間もなく終わるでしょう」と告げます。
ここでようやく、貴婦人は「ロザリオの聖母」と名乗ったといいます。
聖母が去っていく時、ルシアは聖母に促され、「太陽を御覧なさい」と叫びます。
すると降り続いていた雨が急に止み、雲が切れて太陽が顔を出しました。太陽は様々な色の光線を発した後、ダンスをするかのように動き、時に急降下するように動きました。その熱で雨に濡れていた群集の服は乾き、この10分間の異常現象は居合わせた新聞記者たちも目撃して、翌日のポルトガル中の新聞が大々的に報じました。
1930年、現地管区のレイリア司教によって聖母の出現は公認され、同年、教皇ビオ12世によって、ファティマに参詣する者の贖宥が宣言されます。
またカトリック教会・ローマ教皇庁は一連の現象を聖母の出現と公認し、5月13日をファティマの聖母の記念日としました。
なお3人の羊飼いのうち、フランシスコとヤシンタ兄妹は預言通り、ほどなく天に召され、最年長のルシアは修道女となって、預言の内容を教皇庁に伝えます。
しかし、教皇庁は内容を公表することはなく、時が過ぎていきます。
聖母の警告が受け入れられることはなく、世界は第二次世界大戦へと突入していく事になりました。
第3の預言について、聖母は1960年に公表するようにと指示しましたが、この時も教皇庁は公表しませんでした。
それがいわゆる「ファティマ第3の預言」とされるものです。
この記録を見たローマ教皇ヨハネ23世は絶句して再度封印しました。
次代のパウロ6世は衝撃を受けて卒倒し、数日間人事不省に陥ったともいわれます。
そして2000年に至り、教皇庁は「第3の預言」は1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件を指していたと発表。
しかし、真の内容を伝えたルシアは「それはほんの一部で、バチカンは嘘をついている」と司法省に提訴しています。
そのルシアも2005年に97歳で他界しました。
この一連のファティマの聖母の奇蹟と、第3の預言が何を意味するのか、いろんな解釈があると思いますが、教皇庁が隠し続ける必要があるほどの大きな警告を意味する事は想像がつきます。
世間では、「第三次世界大戦」や「終末論」ではないかとの憶測も呼んでいます。
あなたは、このファティマの奇跡、第3の預言についてどう思いますか?
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